続・孫の手
――台風一過――
孫を預かった四十五日間。
十五年前を思い起こし、折にふれては家族の語り草になっている。
この恵みの多かった楽しいマメ台風は、四十五日間と滞在期間が長かった。発生地は横浜の戸塚、小型でしたが東北縦断後、釜石を直撃、方向を変え熱帯性低気圧となり太平洋上へと過ぎ去っていった。良い思い出だけを残して。
帰る孫を見送りがてら、2人目の孫の顔も見たく、総勢五人が戸塚まで旅することになりました。
釜石発十時?分、新花巻で開通したばかりの新幹線に乗り換え、三時ごろには戸塚のマンションに着くはずでした。
釜石出発のときは台風の影響で雨が降り始めていましたが、よもやと食べ物も子供のおやつ程度に軽く用意。孫中心の途中の楽しさは言わずもがな。孫はお気に入りの枕代わりのドンベイちゃん(犬の縫いぐるみ)を背中におんぶ、更に本人はバアの背中、親ガメ子ガメの状態で大宮駅へ。そのころには横殴りの雨風、後で聞いたら珍しく東京へ台風上陸のその真っ只中へ着いたらしい。
大宮から電車に乗り換え上野駅へ。東京駅行きの山手線に乗ってホッとしたのも束の間、まもなく電車は停電、雨風が吹き込むのにドアは一向に閉まらない。
「ドアだけでも閉めてくれれば・・・」
どこからか苛立ちの声あり。
ようやく「出水のため、運行停止」のアナウンスがあり、みなさんそれっとタクシー乗り場へ。私等、車椅子と子連れの一行も「とにかく東京駅まで行ってみるべし」とタクシー乗り場へ。
乗り場では長蛇の列で、いつ乗れることやらと最後尾へ座り込みはるか前方を眺めていると、四方八方から湧くように次々と車が集まってきて、列はどんどん動いていき、一時間弱で私らの番が廻ってきた。
順調に東京駅まで行ったもののやはり電車は動かず、又長蛇の列へ。子連れと見てかぶるようにとビニールの袋をくれる人あり、都会人の意外な暖かさを感じもした。
このときも車は次々と集まり、タクシーへ乗ってやれやれと思ったのも束の間、出水のため迂回を繰り返し、道を間違えて引き返したり大変でした。
五人とも夕飯無しで、持ってきたおやつもなくなり、孫は
「クミオバチャンおなかイタイ?」
と娘に聞き始めた。
おばあちゃんに、
「キーチャンお腹空いたんでしょ」
と言われ、
「キーチャンおなかスイタンダ!」
という孫の言葉に、早く息子のうちへと焦ったものでした。
途中で、
「お客さん、これ以上は無理です。降りてください」
と言われそうで、そのときはホテルでもと覚悟を決めておりましたが、中年の責任感のある運転手さんで、地元横浜の仲間に迂回路を聞いてくれたりと、三時間余りも走り続けたのに料金は9千円と少し。迷ったところからメーターを倒してくれていたそうで、さすがプロに徹していると感心しました。お釣りはチップ・・・にと言ったかどうか定かではないが。
運転手さんが自宅へ帰ったのは何時になっただろうかと心配したり、思い返して、良い運転手さんで良かったといまだに感謝しております。
このときの台風は例年通りのコースではなく、大きく東のほうへ逸れて上陸、なんと我々五人の面々は台風の中心部へ頃合よしと突入していったのでした。まるで台風の目へ突入していく観測機のように。
横浜では水も出たようですが、翌日は、「台風一過」、天高くどこまでも青空が続く最高級の秋晴れでした。
今これを書いている時は、丁度台風シーズンで、台風何号がと聞く度に思い出す出来事です。
(読後感想 佐藤竹男)
孫を台風に見立てたりして個性的な文章、何時も筆者の投稿が楽しみです。その外にも版画が大きいのや小さいのが、表紙や扉、頁の余白を飾ってふだん記誌のレベルを高めていただき感謝を禁じえません。