ー「ゆとり」考ー

 論文などと言われて、さてそれじゃあと書くのもおこがましいが…、まあ勝手な事を書かしてもらう。
 仕事の合間の「ゆとり」、仕事を達成する上で、ある程度のそれが欲しい。例えば、ある仕事のプロジェクトチームを作る。専門の技術、能力、構成人員など数字的には完璧なプログラムが出来るだろう。が、それにプラスアルファの「ゆとり」が欲しい。歯車の回転もゆとりの油が切れると悲鳴をあげる。甘いおしるこにチョッピリ塩、と云ったところか。物は何であれ完成度の高い、良いものが残せる。仕事を楽しむ心の「ゆとり」も欲しい。仕事は苦しいものだ。だからそれに対する報酬が支払われる。しかし、楽しみながら仕事をする事が出来れば、俺にとってそれは「ゆとり」だね。
 戦前まで、病気は結核など外部からの細菌感染が主だった。薬の無い、あるいは高価な時代に、人は不可抗力で亡くなったが、最近は、自分で作り出した病気が多いと云う。いわゆる、成人病や過労死というヤツだね。それも長い時間を掛けてだ。うーん…確かに。戦後すぐの食料事情、体験した者にしか分からないだろうが、悲しいものがあった。今、人間がこれ程食べ物に恵まれた時代はこれまでに無い。物は大量生産され、食べ物は市場に溢れ、そして人はカロリー、脂肪の取り過ぎで、いろいろな症状が現れている。聞くところによると、人も含めて動物は、脂肪を蓄えて冬の寒さに備えると云う。飽食で脂肪をセッセと体に蓄え、肥満ー成人病につながっていく。「ゆとり」も過剰にあると悪い面が出てくると云う事だろうか。
 仕事の合間のプライベートな時間を余暇と云う。定年までの数年は、「あと何年」と少なくなっていく年数を数え、追い詰められていくようで寂しかった。定年をむかえ、神様が決めてくれる人生の停年までは、あと何年あるだろうか。勤続年数が未知数なだけに大いに期待出来る。この結構長い余暇を、俺の第二の人生を仕上げる為に使いたい。最も大切な時間が、今だ! ゆとりある人生、決して暇を持て余してはいけない。素直に前を向き、じっくり歩き続けたい。
                                  おわり

(岩手県県民生活課「私の余暇プラン」平成五年九月応募)