仕 事
或る朝の娘との会話。「どうも頭にない事は書けないなあ」と親父。「頭に残っている事を書いたらいいじゃない」と娘。なる程、分かりきった当たり前のこと、頭に残っている事を絞り出せばいい。そうなると私には仕事の事しかない。
或る本に『仕事は人類が始まって以来、人間が生きていく為のやむをえざる必要な機能としてある。そして仕事は無限に分化し今我々は、職業としてそれを担い、維持発展させていかざるを得ません、人類ある限り、仕事をより自分に合ったものにより快適にするために考えてみたいと思います』とある。
私は鉄板やアングルの尻を叩いて定年退職まで三十一年。めしの数でいくと、
一日三食×三六五日×三十一年=三三,九四五食×三〇〇g(一食の食物重量)=一〇t余。
何とこの莫大な数字、よくもまあ曲がりなりにもやってきたもんだ。改めて驚いた。仕事の初めは食べることから始まり、次に衣、次に住、これが限りなく細分化され職業が出来たそうだ。 或る人の名言に『私は仕事に嫌な事がついてまわってると思います。自分の意にそわず、気に染まないことでもしなければならないのが、仕事でしょう。面白い事をするんだったら、こちらからお金を払ってやらせてもらわなければなりません』とあります。どうも私にはこのままは頷けない。何とかして仕事と仲良くは出来ないだろうか。どんな仕事でも、あらゆる角度から観察すると一点に仲良くなれる接点があるものだ。そこから覗けたらしめたものだ。仕事が何を欲しているのか分かってくる。さらに点が大きくなり、視野が拡がって、仕事から要求されるもの、それを満足させる為に、勉強するとか、体力の維持が必要條件になる。
或る本に『仕事とはプラン(立案)、ドウ(行為)、チェック(点検)から成り立っている』とある。
或る日の私…。図面がくる。読む、家へ持ち帰ってじっくり読む。イメージが沸いてくる。注文主との質問、話し合い。次は材料拾いだ。種類・寸法、積算集計。一番大事なのは人工(にんく)の見積もりで、これで請け負い金額が出てくる。注文主が了解すればゴーサインとなる。材料発注、部分の詳細図、人員分担・割り当て、これで仕事の車が廻り始める。途中おシャカを作ったり、寸法違いでやり直したり、公休外の急な休みや、別仕事の割り込みで人員のやり繰り、等々。やがて完成。皆の努力が実って、その結晶を前にする。この喜びは何ものにも替えがたい。何も言うことなし!
入社当時の若い頃に戻って、やり直しではなく、また同じ道をなぞってみたいなあ…。その時々で、その時点では最良の道と思えるものを選んでここまで歩いて来たのだ。なぞってみたいと思う事は現在の自分に満足しているのだろうか。そうに違いない。多少の自惚れ交じりでそう思う。仕事と仲良くなり、今後も共に歩き続けていきたい。そして、先人、先祖が、ゼロから作り上げたこの立派な現在を汚さないよう、マイナスにならないよう、零コンマ、零、零、零、以下の力でもプラスになるよう努力したいと思う。
終わり
H・4・7・14
(『長寿社会への私の意見』作文コンクール参加)
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