詩 吟
ある席上、皆上手に吟じている。俺もあれくらいはと、飛び入りで舞台に上がる。我ながら素晴らしく聞こえるが、どうも他の人の耳には唸っているとしか聞こえないらしい。後でテープを聞いてみると確かに下手だ。
これでは詩を作った人に申し訳がない。ボイラー室の騒音の中で繰り返し練習をしたのだが。やはり子供の頃からの音痴は六十年経っても厳然として残っていたらしい。家族からは人耳につかない所でと固く言われる。
かかわったルーツだけは古い。十七才の時学校廻りの高名な先生に一日二時間、三日間五十銭で手ほどきを受けた。以来五十余年、時折口づさむ程度であった。数年前までは人前で唸るなどとてもとても……。それでも俺なりの詩吟を続けたい。
漢詩、そう多くは読んでいないが、表現が良いねぇ……。解説がないとちんぷんかんぷん(珍文漢文)だが。好きな漢詩を選んで熟読し、内容を味わいながら暗唱する。と段々声になり、高低が出来て唸り出す。これが俺流の詩吟だ。
李白ー両人対酌すれば 山花開く
一杯 一杯 復た一杯
我酔うて 眠らんと欲す
郷且らく去れ
明朝意あれば 琴を抱いて来たれ
淡々として何のこだわりもない、良い表現で、ニクイね。しかし、幾ら天才的な詩人でも、そう右から左とは出てこないだろう。
賈島(唐代中世ー苦吟の詩人)
二句 三年にして得
一吟すれば 双涙流る
三年もかかるとは恐れ入りましたが、白髪三千丈に見られるように少々オーバーに思われるが。
ーちなみに、「推敲」、漢字を見ると[おす][たたく]で、今使っている意味とは結びつかない。
賈島ー鳥は宿る 池中の樹
僧は敲く 月下の門
僧は推すと初めはしたのだそうですが、いや敲くも良いか、いや推すも捨てられない、やっぱり敲くだ!と本決まり(この間何年かかったのだろうか)。ここから「推敲」の言葉が出たそうだ。
詩人達の一字一句に掛ける時間と情熱、何と……!
唐代中期の詩が千百年を経て、未だに生き生きと俺に感銘を与えてくれる。
十世紀も前の中国の詩に共感出来るとは。その偉大さに只々感嘆するのみ。
再見
(『ふだん記四号』平成五年七月)
読後感想ー佐藤竹男
◎詩吟
漢詩は黙読よりも声を出すと感情が昂ぶると言う所は、共鳴です。前号(第三号)に書いてありましたが、若かりし東さんは大胆なのか素直なのか(未だ良く分からない)自然体なのがいいですね。
川柳ー「お盆」
☆初むかへ火をたきながらこヽですよ
墓地できていつか俺入るよろしくね
☆盆棚を炬燵が見てる冷夏かな
南からようこそうちへ先祖様
○墓地できて少し狭いがごゆるりと
(週刊朝日『とうでん川柳』八月十六日応募)
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