口のパントマイム

ここは、とある自動車学校の待合室。

外からガラス越しに覗き見る。やってる、やってる。小冊子を片手に口を細めたり、または真一文字にしたり、まさに口のパントマイムである。声は聞こえないが、どう見ても詩吟の練習だ。あっ、こっちを見てる。思わずニヤリ。

 この待合室からガラス越しに学校の練習コースが見える。いましも、教習車がフラフラと脱輪・・・、どうやら習いはじめの人がのっているらしい・・・。

五十分毎に教習生が集まり、十分足らずの休息の後、場内コース、路上にと散っていく。

 修了検定や卒業検定のときには、この待合室にはピンとした空気がみなぎり、検定を受ける人にはうっかり声もかけられない。

 この男の娘も今しがた、路上に出掛けたところだ。

 男の視線の先には、中国4千年の歴史と、車、車の現代社会が織り成す複雑な思いが入り交じっているようだ。

 ふと視線を感じ、男は現実に戻った。娘が路上運転から戻ってきた。車椅子、車椅子と・・・。緊張で喉をカラカラにして戻ってきた娘に、缶コーヒーでも用意してやるか。今日はどこまでいったやら。

ちなみに、中国近代の詩仙と言われた「李白」二十五歳頃の作品に「蛾媚山(がびさん)の月」がある。一説には旅の生涯で出生地定かならず、ある湖水の船上で酒を飲みながら詩を作っていたおり、湖面に写った月を取ろうとして船から落ちて溺死したとか・・・。

 無類の酒好きで、聖人とは言われず仙人と言われ、同年代後輩の「杜甫」によると一杯毎に一句できたそうである。

 その天才ぶりはまさに驚きである。