黒い揚羽

2006.9.4up
9.13修正

 うちへ戻る途中、黒い蝶が私をかすめるように飛んでいった。
 黒くて格好のいい蝶を見て、ふと、”父かもしれない・・・”と思った。
 大正生まれの父は、ちょっとだけへそ曲がりで人と違うおしゃれをした。
 同時代人より少しだけ背が高く、足も長かった。
 父の父はアメリカに出稼ぎに行き、開戦直前に最後の交換船で帰ってきたそうだが、終戦後、奥野さんにはアメリカ人が居るとご町内で噂されたらしい。父の体型はそのお父さんに似たのだろうか。祖父は終戦直後になくなっているので確かめようがないのだけれど・・・。
 祖父がアメリカから持ってきたというコーヒー豆・・・祖母はブラックで飲んだという。
 父もやはり好んで飲んでいたが、「砂糖余ってないか」と良く聞かれたものだ。行きつけのレストランではコーヒーを頼むとスティック・シュガーを2本付けてくれた。うちで豆を挽いて、コーヒーメーカーで煎れると喜んでくれたっけ。
 ウエストバッグ出始めの頃は便利だと喜んで付けていたのに、皆が持つようになるとショルダーバッグを下げるようになった。
 帽子も好きだったな・・・。時々、私のを被る事もあった。
 息子から贈られた(見立てはあねだと思う)服を着て、”センスが良いと褒められた”と、少し得意げに私に話してくれるのだ。
 結婚式の時の礼服の浮かし織りの白いネクタイが、写真に写ると目立たないと言って、白とグレーの斜め縞のを探した事もあった。見つからなかったけれど。
 絵を習いに行く時に、スケッチブックや絵の具などを入れる大きめのバッグを作ってくれとリクエストされた事がある。こういう風に使うから、両側にファスナーを付けてと少々面倒な注文も出された。
 デイ・サービスに通うようになって、着替えの下着やタオルを入れるバッグ、係りの人に分かり易いように名前を入れてくれと言われ、市販の布バッグの入り口付近に名前を刺繍した事もある。
 皆で遊べるゲームを作るんだと張り切っていた事もある・・・未完に終わっているが。
 そして、冗談の通じる人だった。何か言うと、ニヤリと笑う・・・。父とは波長が合っていたような気がするよ。今、ニヤリと笑ってくれる人は居なくなってしまった・・・。