邂 逅
昭和十八年に現地入営で公主嶺へ入隊して三カ月目。日曜日だが、初年兵には未だ外出が許されず、洗濯を終えて内務班で何かしていた時だ。「奥野(旧姓)二等兵、面会だ。」この地で面会に来てくれるような人は絶対に居ない筈だがなあと首を傾げながら、それでも面会所へ急いだ。
〔あっ! 利代ねえさんだっ〕 和歌山の唯一の従姉、五年ぶりの再会だった。大型の水筒に〈おしるこ〉を一杯詰めて持って来てくれた。初年兵教育で散々痛めつけられた俺には地獄に仏、涙が出る程旨かった。利代ねえさんのご主人は県の興農合作社へ農業指導員として勤めて四年になるという。俺の事は釜石からの連絡で知ったそうだ。
その後間もなく外出許可も出るようになり、休みの度に戦友共々お邪魔し、家庭のあったか味を随分味わわせて貰った。その戦友が利代姉さんに内地への手紙を頼んだのが検閲に引っ掛かり、油を絞られえらく迷惑を掛けた事もある。
この楽しかった外出も、俺が台湾へ(途中引き返し内地へ)転属する事で、七カ月で終わってしまった。広い満州で点と点が一致したのだ。偶然の巡り会い、釜石−公主嶺−太地……。
去る三月、利代姉さんのご主人(八十二才)が亡くなり、四泊五日の日程で太地へ行った。
明日の葬儀の準備を終えホッとしたところで、皆で炬燵にあたりながらテレビを見ていた。中国残留孤児の聞き取り調査が放映されていたが、ふと利代姉さんの長男の紀明さんが、「あんにぃー(あのねえ)、わし、もうちょっとで、こんな風になったんやでー」と言う。利代姉さん(七十六才)が説明してくれた。
敗戦直後、官舎付近で近所の人が〈わたい(私)〉に走って教えに来てくれた。「紀明ちゃんがニー公(満人の蔑称)に連れて行かれるよっ!」 すぐ追いかけたら五十メーター位先に、満人が二才の紀明を横抱きにし、連れ去ろうとしていた。紀明は手足をバタつかせながら「ブシン(駄目)、ブシン」と泣き叫んでいた。母親の「ショマッ(何かっ)!」の強い一言に驚いて、満人は子供を置いて逃げて行ったそうだ。
敗戦後の日本人、特に外地の民間人の立場は悲惨だった。家財道具の売り食いは当然だったろうが、子供を売った人も随分あったとか。親、子、共に生き残る為の最良の手段だったのだろう。その心情思い余るものがある。帰国船の出る港、大連まで千二百キロを一カ月位かかりながら−その間の親子の食べ物大変だったろう−、只々「大連へ行けば船に乗れる」の合い言葉でやっとの思いで辿り着いたらしい。四十数年前を思い起こしながら、じっくりと語ってくれた。
帰途、東大出の学士、清水君と同席した。俺のふるさと太地は無人駅で、隣の勝浦駅から南紀急行へ乗った。折り返し運転で始発だったので割合空いており、回りを見回すと、おー清水君が乗っている。「隣へ来てもいいですか」と、人懐っこく移動してきた。出で立ちは、ポロシャツ、ジャンパー、コーモリ傘、スニーカー、木枠の付いた背負いバック、とラフで、「登山は何処の山ですか」と聞いたら、ニッコリして「東京の友達の結婚式に」と答えた。エーと思わずバックパックを見て目を見張ったら、「これ物が割合入って、背負い易くて旅行には便利ですよ」と言う。それから四時間半、昼食もパン半分とバナナ一本をご馳走になり、ポットのお茶を飲み交わしながら、話し続けた。
彼は今度亡くなった誠一さんの実家の長男で、東大の地形学科を卒業、現在は海外派遣青年協力隊へ入って、パプアニューギニアの首都モレスビーの本部に勤務している。有給でボランティアの元締めをしているそうだ。能弁ではないがなかなか話し上手で好青年だ。ニューギニア、イコール、密林ではと云ったら、確かにジャングルは多いが、彼から見ると、木、蝶、鳥の種類は豊富だし、地形的にも学術上貴重な所がある。あそこは自然の宝庫だと。気候、風土、衣、食、住、青年隊への日本の取り組み方、予算面、ボランティアの活動状況等々、情熱を込めて話してくれた。結婚はの問いに、ニヤッとして、「二度見合いしましたがみな向こうから断わられました」。エー何で。容姿、学歴、非のうち所無しの青年がと思っていたら、すかさず、「勤務地はパプアニューギニア、で終わり」と、しかし彼は屈託なく笑った。心はニューギニアの地を思い、空を見上げているらしい。
広い交錯した名古屋駅は、お上りさんが一番まごつき心配な所だが、若い旅慣れた清水君のお陰でゆうゆうとしたもんだった。途中記念写真を撮り合って、俺は新横浜、彼は東京へと再会を約し、握手をして別れた。
シー・ユー・アゲイン
(『ふだん記四号』平成五年七月)
読後感想|佐藤竹男
◎邂逅
「満州は広かった」の続編とも受け取れました。一番辛く暗い初年兵の時、従姉の差し入れに私も涙が出んばかりです。そして敗戦後の地獄さながらを体験し、目にした事が今に生きているのでしょう。
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