受験奮戦記
自分史の年表を書き乍ら、これは必ず書き残さなければと心に固く決めた。調べたり、聞き書きしたり、思い出したりして、徐々に吾が生涯が浮かび上がってくる。
種々思うが、私の一生を百メートルの山にたとえてみる。
今六十九メートルの地点で下を眺める。割合に平凡な山だ。多少木々の枝に遮られ見え難い所もあった。ゼロメートルから歩き始めた。緩いスロープ、裾野地帯だ。二十一メートル位から坂も角度を増してきたが、何とか登り続けて六十四メートル。が、そこからの三メートルは六十度の急斜面であった。
名付けて受験坂とする。
この坂越えには三年掛かったが、ここに記す。最初はバイクの免許、再取得で甘く見たが見事落第。大いにプライドは傷ついたが、良い薬、起爆剤になった。以降の受験は働き乍らだが、二十八歳の良きライバルが居た。追いつ追われつ、最後迄付き合って呉れた。又家族の助言、激励、加えて私の体調など良い条件が揃っていた。
ボイラー二級、危険物丙、乙四、整備士、ボイラー一級の国家試験を次々に突破。
晩酌もお預けで十時、十一時まで勉強したなあ。繰り返し繰り返しで、テキストの表紙もボロボロ。平成元年九月(六十七才)に盛岡で年に一度のボイラー一級の試験があった。教室で試験管に「貴方は最年長です、頑張って下さい。」と声をかけられた。が、結果は不合格。二ヶ月後、岩沼で逆転ホーマー。又、受験地での食事はカツカレーに決めている。テストに勝つ。
此の二年はひと休み中、次は何にトライしようか、国家試験の項目を眺める今日この頃である。
「六十九メートル地点で上を見渡す。百メートル山の頂上は遙かだ、登るにつれて視界が開けてくる。
尾根あり。岩場の坂あり。アッ花も咲いている、気をつけて。」
(自分史『岬』平成四年三月より)