自慢話
人の自慢話を聞くと、対抗意識が働いてか自分も自慢話がでてくる。自分がいかに優秀であったとか、知識の深さ、子供の事、孫の事、若い頃の、等々人間なんて単純なもんだ(これは私の事)。
高大一年次を卒業して私なりにまあ「レベルアップ」した(かな?)
又自分史を学んでも文を書く気持ちが出てきたようで、年表で年代を行ったり来たり、聞いたり、調べたり、思い出して「メモ」る。失敗、成功、危なかった、ヒヤッとした、自慢したい事等々、これを自分のライフワークとして、じっくり記録し、処所印象深い場所をピックアップして文にしたいと思っている。文を書くと言うことは自分の意志を表現するということだが、その何処かに自慢が見え隠れしているのでは・・・。私も今この文を書きながら、読む人に感動を与えようとか、格好よく見せたいとか、流石と思わせたい、などの心が何処かに働いている。こんなのを潜在意識というのかな。或る人は鼻の先に自慢提灯なるものをぶらさげてる人もいるが、私のは左胸の小さいポケットの中に・・・。自慢話も程々に、天狗にならないよう更に知性と教養を深めて、適当にカバーし追い求めていきたい、なにかを・・・。
「蛇足」私の自慢話、我ながらよく続いてると思うんですが、野菜ジュース(人参・キャベツ・リンゴ・レモン・パセリ)を約一キロで五〜六百cc(三人分) 十五〜六年間飲み続けている。朝の空腹時の一杯は旨いの一語につきる。この一杯で一日の健康が約束される、「チョット」表現オーバーだがそんな気持ちがする。あまり長く書くと自慢の味も不味くなるので此の辺で終わります。
(『はまゆり』平成四年四月二十二日)