老朽船
私は復員後、約三年位仕事を転々とした時期がありました。あの戦争の混乱期に流されて、などと言いたいところですが、慎むべし、これは自分の責任ですね。
その後、家内の父が経営する鉄工所に職を得ました。従業員七、八名の同族の町工場でしたが、鉄工関連の設計、製作、機械加工、仕上げと、親父さんを頭にそれぞれ秀でたスタッフが揃っていて、釜石では中堅的な存在の工場でした。
私は主に鉄骨加工などの溶接部門を担当しており、失敗と成功が織り交ざった三十一年間でした。
その中で、いまだに思い出に残り成功したほうの仕事を一つ。
泥運搬船で、古い大きな(三九頓型位)錆の塊のような老巧化した船でした。
岸壁に係留中、船底に長さ五〇糎位の亀裂が入り、浸水して五馬力の水中ポンプで排水中。
普通、船底の修理は造船場に揚げて行うのですが、何故かそれができなかった。私がやりましょうということで始まった修理ですが、今思い返せば若かった。あの悪条件下では成功率五十%程・・・未だに冷や汗三斗です。
作業開始、第一は浸水を止めることです。瑕口の上に三粍厚のゴムパッキン、その上に六粍鉄板(九十糎四方)、これの押さえに縦横数通りに馬を使ってボルトナットを仕込んだビームを渡し、締め上げ、圧着する。これで浸水は止まりました。
ここまでの作業は噴出する海水と深さ四、五糎の水の中で行われ、困難でしたが、三人のチームワークが良く、順調に行ったようです。完全に排水して、次は電気溶接の出番です。その前に電気溶接とは・・・「アーク溶接ともいい、接合部位にスパークし、生じた熱で溶解し、流れる寸前に溶剤(電棒)をたらす。これがなかなか熟練を要するのです。この連続です」
不用意にその辺にスパークでもしたら「さあ大変!」数粍下は海水圧です。ボボッと孔が開き即噴水、こうなったら仕事は見事失敗です。
薄物電接のポイントはなるべく電流を弱くし、溶接部位の密着にあるのですが、ハンマー打ちが出来ない、振動で又どこかに皹(ひび)――と、全く痩せる思いで慎重に溶接した。苦労のあった分だけ完成の喜びも大きく、職人冥利に尽きるものです。
この船はそのあとまもなく廃船になったと聞きました。何十年も活躍した船の最後の修理をさせてもらって、その廃船の瞬間に立ち会ったような気がして感慨深いものがありました。
―――ひとこと―――
私は職種はともあれエンジニアなる言葉にあこがれていて、自らもそれになった積もりでおりました。
いまどき職人などという言葉で若い人はついてこない。職人気質といえば竹の曲がり根のように曲がりくねった、融通のきかない強情張りのように思っておりました。
何年か前に読んだ永六輔著「職人」の冒頭に、【職人とは職業ではなく、その人の生き様ではないか】とあった。うーん、なるほど・・・。
単細胞の私、早速エンジニアから職人に切り替えました。曲がり根に磨きをかけようと思っています。目下自分免許申請中です。
えっ、何の職人かって・・・。それは欲張って三つほど、ちょっと時間がかかります。免許を取得できたらお知らせします。 再見(サイチェン)。
※馬=鉄工関係の現場用語(このときは十五糎位のコの字型の金具。これを当て板の外両側に馬上に電接して、ビームで押さえ、支えにするものです)
表紙感想−石橋巌
表紙は東さんの「火炎」、そして扉絵が版画四色刷の「シロモクレン」、四十枚を四色刷にすると百六十回の手数が掛かるわけで、その上ずれないように紙を版木に合わせるには神経を使います。東さんにはいつもこんな苦労をお掛けしているわけで、気安く多色刷りをお願いしてしまったことを後悔しております。