ごまめの新春ひとりごと
エイジレスライフ−年齢にこだわらない、年齢を感じさせないと、俺はどうもこのまま受け取れない。むしろ七十の年をハッキリ意識して考え、年相応の行動をしていきたい。年は背後から強迫するように迫ってくるものではなく、一里塚のように前にあって一歩一歩あるき、踏みしめて、この塚を乗り越えていくと考えたい。平成五年未だ七十番目の塚を通過した所だが、小路へそれたらオフリミットの標識があって逆戻りしたり、六十八番目の塚には高大校があった。次は七十一番目の塚だ。休みながら、唄を歌いながら、
(上ではなく)♪前をむ〜いて歩こう〜よ
涙がこぼれないよ〜に ……
正月、テレビで良寛さんのドラマを見た。面白くてついつい最後まで見てしまったが、最期の床で言った『散る桜残る桜も散る桜』に感じるものがあった。
花が散るのを見て、隣の花が言う。「もう散ってしまったのか、可哀相に。私はまだまだ咲き続けるんだ……」
別の花が言う。「……知らないのか、お前もやがて色あせて用無しになって土か川面に落ちていくのさ」
さらに別の花が言う。「哀れみも悲しみもない、むしろ喜びだよ、美しく花が咲き、人々を楽しませてくれた。やがて実を結び、種を残す、満足してひらひらと散りながら、お前もこのように散るんだよと言っていたよ」
いずれは皆散っていく。実や種を残しながら。俺もひと休みしたら又歩き続けようか。おわり
追加 八十三才の人の年賀状から。
『それでも生まれてよかった。生きてゆくことが楽しい。とほんとに思わせるものは人々のあたたかい心と、春、夏、秋、冬の自然の美しさである』
俳誌「みちのく」よりと
(『はまゆり十五号』平成五年一月二十八日)