古稀の同窓会

 やっと定刻に間にあった(会場を間違えたのだ)。もう大半は集まっていて、三々五々、手を上げ呼び合い、肩を叩き、握手をしたり、で喧々ゴウゴウ、談笑の渦が舞い上がっていた。市内在住の者はともかく、東京からの奴は五十八年振り、卒業以来初めての同窓会であった。間もなく司会者の挨拶、続いて物故者の名前が読みあげられ、黙とうを捧げる。うーん、あれもかあー、あいつもかっと、後から後から熱いものが込み上げてきてとめどがなかった。長い三分間が終わり、顔を上げたが、読む者も聞く者も……であった。自己紹介があったが、大半はどこのじい、ばあ、かなと思った。それが、アルコールが入る程に、一緒に校歌を歌い、学芸会が進行する程に、七〇才のシワの顔に十二才の童顔が重なり、ああ誰それだ!と思い出されてくる。とても楽しい時間を過ごし、思いは尽きなかったが、また来年の再会を約して別れた。しかし、お互い明日の定めは分からない。まして高齢者は尚の事。まあ良い思い出作りが出来た。また年賀状の住所録が増えた。
 人は「思い出」を走馬燈の如く過ぎ去って行くと表現するが、俺は「木の根」の如くだと思う。「思い出=過去=根」とすると、土の中へ根がぐんぐん根張っていく。思い出したければ、土を掘り返して根を辿っていけばいい。ああこれはいつ頃の根だとすぐ分かる。走馬燈の如く過去が消え去っては明日に繋がらない。昨日までの過去があってこその今日なのだ。今日、今を大切にして、明日の自分の為に良い思い出を作りたい。
 蛇足。二月頃横浜の息子殿から小さな小包が届いた。開けてびっくり、「古稀祝東輝夫」の刻印の入った高そうなライターが入っていた。あっ俺がと…。お礼の電話に、「ありがとう、十一月には未だ早いが、まあ貰ってやる」とね。離れているのによく俺の年を記憶してくれたものだと嬉しかった。これも良い根っこにしておこう。古稀、古来稀なりというが、それが自分の頭の上に落下寸前。次は八十八の米寿、九十九の白寿だったかな。息子殿はその時も忘れないで、今度は何を送ってくれるだろうか。
 座しても年を取るなら、歩き乍ら取る。このへんで

       (『ふだん記二号』平成四年十月より)