七万六千六百五十
電卓が数秒で出した数字だが……、これは俺が七十年間食べた飯の数である。何と気の遠くなる数字ではないか。
軍隊で初年兵の頃、古兵殿に、お前ら「めんこの数…」云々と説教されたが、たぶん年功、飯の数と推測した。今ふとそれを思い出して計算してみたのだ。今なら「めんこ」の数では古兵殿には負けない、こっちから気合いを入れてやろうか!
七十年の思い出を辿ると長いようで短い。このような思い出を文に綴るようになったのは石橋先生の自分史の講義以来である。それまでは伝記、自叙伝、手記などの類いは、才能のある人達の雲の上の出来事と思っていた。先生に教えられた通り、年表を作ってみる。随所に空白部分が多い。追い追い時間を掛けるとそれが繋がってくる。
日記を書く習慣のない俺。年末に来年こそはと日記帳を買うのだが、いつも一カ月坊主になってしまう。何時の日にか俺の心肺の停止する刻がくる。その前日まで自分史を書き続け、処々をピックアップして文を綴り、考えを記して、足跡を残したい。
しかし只漫然と思い出を、考えをと構えても、まとまるものではない。たまたまその場を与えられ、対象者や読んで呉れる人があると、目標、照準が定まり、読ませる、読ませたいと、煮詰めていく。消しゴムとメモ用紙を相手に苦文一週間。苦吟の詩人で有名な賈島の「二句三年」には遠く足元にも及ばないが、四苦八苦、ない頭を叩いてギュッと絞り出す。脂汗のようなものが白い紙の上に種々の模様を描き出す。チョット、キザだが実感である。ー完成ーと鉛筆を置き消しゴムのカスを払う。何と脂汗の香り高き吾がメモ的漫文。満足感に浸りながら紫煙をくゆらせる。
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず(劉延芝) 再 見
(『ふだん記五号』平成五年十一月)
読後感想ー佐藤竹男
◎七万六千六百五十
最初タイトルを見た時、強い好奇心が湧き上がりました。書き出しから段々核心に迫り、結びに至っては正に美文だと言っても誉め過ぎではないでしょう。