四十二番と四十三番
高大四班、四十二番・東、四十三番・A先生、三人掛けの机でいつも隣り合わせの席だった。この俺が八十二才の元校長と同席出来るとは…。一・二年次の二百時間、毎週顔を合わせるのが楽しみだった。先生は専門課程へは来られず、卒業後は年賀状の交換程度だったのだが…。
六月上旬、先生から突然電話があった。
「これから伺いたい」と言う。たまたま我が家に預かっている先生直筆の原稿を取りの来られるとの事だ。私が届けますと言ったら、「ついでの用がありますから」と言われた。家の近くの分かりやすい場所で待つ事しばし。俺の前へ軽四輪がスーッと寄って来て止まった。中にはハンドルを握った笑顔の先生がおられた。驚いた! ご自分で運転して来るとは思わなかったのである。お身体の方は年齢相応に見受けられたが、表情、声、話し振り、何とすがすがしく少年(失礼!)のような印象を受けた。
世間話に花が咲き、「八甲田山死の彷徨」に話しが及ぶと、次々に各地名や、両大尉の名前などを挙げ理路整然と話して下さる。俺も何度か読んで多少は覚えているつもりだったが、先生の記憶力には舌を巻いた。
前に先生の水彩画を拝見した事がある。実に明るく若々しく、感じが良い。そう言うと、当たり前の絵の具で当たり前に描いただけですよと…。創作はその人の心の表現だと思う。
俺もこの辺りに近づきたいが、時間が掛かりそうだ。いや、時間を掛けても足許まで行けるか…!?
終わり
(『ふだん記五号』平成五年十一月)
読後感想ー佐藤竹男
◎四十二番と四十三番
やる気さえあれば、身近にも人生の師が居るものだと強い感じを受けました。学ぶ心と出会いを大切にする筆者の精神態度があればこそだと思います。