一〇六日目
古稀を過ぎてついに打ち立てた、金字塔!
九月二十一日より密かに禁煙を誓って、とうとう一〇六日目になったのである。
振り返って、今は余裕を持って思い出せる。
ー一日目ーまあ目をつぶり、呼吸を止めたつもりで過ごす。
ー二日目ーいささかオーバーだが、呼吸困難、仕事が手につかない。
ー三日目ー集中力減退。まだまだこれ位でニコチンの誘惑に負けてたまるか! 作業現場では仲間の一服休憩が、俺には拷問のごとき時間。喫煙グループからそっと離れる。
そんな時、タバコの効用が頭をよぎる。
☆タバコをくゆらせ乍ら考えを集中して、まとめていく。
☆完成した物を眺め乍ら、満足感に満ちてフーッと一服…。
☆汗をかいた仕事の後にフーッと一服…。
☆ささやか乍らストレスの解消にフーッと一服…。
☆親が…んでも食後の一服。
当分は片目をつぶって走り過ぎなければなるまい。
何週間かたって、続ける自信がつき、家人に打ち明け、ぼちぼちと周りにも公表した。
俺とタバコとの付き合いはケッコー長い。家族とよりも古い。
満州で徴兵検査、現地入営だったので、入営前に釜山経由で釜石へ帰ることになった。当時日本より味が良いという満州タバコを土産に沢山買った。定かではないが、チェンメンと言い、ロングサイズ、二十本入り、外箱は横長で紫禁城の絵が描かれていた。ところが「釜山税関ではタバコの本数制限があるよ」と、車中で聞かせる人がいた。汽車の中の数日間は、自分で吸ったり、周りの席の人に贈ったりと大忙しであった。
軍隊では各人頭割り何本と支給され、初年兵当時は古兵殿に捧げたこともあったが、三年後日本へ帰る頃には一人前のタバコ飲みになっていた。それで正当化するわけではないのだが……。……。以来吸い続けて五十年…。
その間、自発的な禁煙宣言が数度。三、四日後には元の木阿弥、煙が上がる。
一昨年、ドクターストップがかかった。こんこんとタバコの悪効を医者に聞かされ、禁煙を誓い帰宅した。本数を徐々に減らし、一カ月後には絶対零本にするのが、俺の禁煙作戦だった。勝手な理屈をこねて、前にも増して紫煙が上がった。家族からは間接喫煙の害を言い立てられ、煙りの臭いを訴えられ、以来一年間ホタル族で通す。
昨年九月、二度目のドクターストップがかかる。禁煙の難しさを訴え、「一日六本では如何か?」と医者に交渉してみる。
医者曰く、「それは貴方の大切な人生ですから、思うようになさっても結構ですが、私は絶対禁煙がよいと思います」それで決まりデース。
十日程過ぎて、不安定乍らも一番苦しいところは通過出来たかなあ、と思っていた矢先、少し重い風邪をひいてしまった。咳がひどくて仕事にはならない。仕事は休んだが寝込む程ではなかったので、有り余る時間を版画に集中した。食後一服したくなると、版画に向かう。それが良かったのだろうか。一カ月以上の通院でしつこい風邪をやっと退治し、医者から快復宣言が出された頃、嬉しい事に「禁煙」が本物に近づきつつあった。五〇年来の悪癖がである。
今、戸棚の奥には、残十二本のキャスターと、半端に使った百円ライター九個、高価なライター一個が、袋詰めして収められている。禁煙のお守りに永久保存するつもりだ。
後世、この辺りが発掘されて、アズマ何がしという者が吸っていたタバコとライターだと、考古学者が見つけてくれるだろうか。
ちなみに、三六五日×五十年×二十本=三六五,〇〇〇本、何と驚くべき数字か!!
終わり
(『ふだん記六号』平成六年三月)
読後感想ー佐藤竹男
★一〇六日目
私達普通人には決めた事をやり抜く事は至難のことである。私などは食生活の中で塩分や甘味料一つとってもマイナス点が多いばかり、本音が出ているし誘惑と一生懸命闘っている姿が目に映ります。
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